いつの時代も変わらないのは、お客様を想い美味しいを追求すること 元料理長 喜田恭典

大阪生まれ大阪育ちの喜田元料理長は、地元の調理師学校で料理人としての技術を会得したのち、恩師から万平ホテルへの就職を奨められたことを機に、1978年4月から万平ホテルに従事。2023年に定年を迎えるまでの45年間、万平ホテルの“美味しい”を支えてきたキーマンです。長年どのような想いで厨房に立ってきたのか、当時を振り返りながら語ってもらいました。

万平ホテルに息づく、
「すべてのお客様の期待に応える」というスタッフの気概

ジョン・レノンファミリーが万平ホテルに滞在していた1978年に、洋食の料理人として料理の道をスタート。万平ホテルの厨房で経験を積み、その後料理長に就任。
朝食にランチ、ディナー、婚礼、各種宴会、メニュー作成、お取り寄せ商品にいたるまで、万平ホテルの食を長年支えてきました。

入社当時、調理場のなかで仔牛一頭を吊るして先輩たちが部位ごとにおろす様子が衝撃で、今でもその光景は鮮明に覚えています。また、当時は上下関係が厳しく、先輩の指示は絶対で、「仕事は見て覚えろ!」と、まさに封建社会の最先端を行っている職場でした。
仕事は大変なことも多く、世間からは“鬼の万平”と言われていたこともあるようですが(笑)、その反面、今思えば仕事以外では上下関係なくみんなで楽しく遊ぶような、非常に家族的な人間関係のホテルであったと思います。

料理長になってからは、自分のやりたい料理が作れることに大きなやりがいを感じていましたが、やはり主役はお客様。ですから、長期滞在のお客様にはご要望にできる限りお応えできるよう、スタッフ一同、注文の際は「何かご希望の食材はありますか」と、声がけを行っていました。

昔、あるお客様から「メニューにないアワビ料理はできますか?」とサービススタッフ経由で質問されたことがありました。
そのときは「これから買ってくるので、前菜などをお勧めしておいて」とスタッフに伝え、急いで食材を買いに走ったんですね(笑)。
お客様からのご要望を全て叶えることは難しいかもしれませんが、お客様のために常に最善を尽くしてきましたし、他のスタッフも同じような感覚で仕事に携わっている。言葉を変えれば、全スタッフがお客様の満足する料理やサービスを提供することを生きがいにして働いており、同じ目的を持って業務にあたるということが、昔から大前提にあったと思います。
それが、万平ホテルのホスピタリティを築いてきた基礎であると思っています。

これからは、いちファンとして
万平ホテルを見守り続けていきたい

私の2年先輩で、30年以上の長きにわたり料理長をしていた前田さんと言う人がいます。前田さんと年が近かった私は何かにつけ相談を受け、一緒にメニューを考えたり、古いメニューを現代風にアレンジしたりと、お客様のニーズに応えるべく二人三脚で昭和から平成にかけて万平ホテルのフランス料理を確立してきました。
ブイヨンのとり方からソースの作り方、デザートに至るまで、受け継がれたレシピをベースにその時代に合わせたアレンジを加え、決して手を抜く事なく一貫して丁寧な仕事を続けてきたと思っています。そして、それが伝統の味を守る事になり、万平ホテルの味となっています。

この万平ホテルの料理を毎回楽しみに来てくださるファンの方がいるからこそ、私自身も厨房に立ち続けてこられました。今はすべてのお客様に、感謝の気持ちで一杯です。
万平ホテルは創業130周年の年に大規模改修工事を行い、大きな節目を迎えています。新しくきれいになったメインダイニングルームで、新しい料理が求められるときが来たと思っています。
受け継がれ守っていく味、新しく挑戦していく味。私が前田さんと昔の料理に大幅なアレンジを加えた時もそうであったように、時代は回っている気がします。いつの時代も変わらないのは期待してくださるお客様のために美味しい料理を作り続ける事だと思います。
私も、ひとりの万平ファンとして、この先も見守り続けていきます。

元料理長 喜田恭典
1978年万平ホテルに入社。2019年より料理長として、メニュー開発からお取り寄せ商品の監修まで、万平ホテルの“美味しい”を長年支えてきた。昭和から令和まで、現メニューを確立させたひとり。

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